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平成19年9月8日 2年ぶり3回目の中国に出かけました。 今回も 彪さんの弟 善君の中国安徽省農業科学院訪問に同行しての旅でした。 では 例によってその模様を・・・・ | ||
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9月8日夜、上海乗り継ぎで合肥空港へ到着。懐かしい顔に出迎えていただき、早速晩餐を頂きました。 潘安徽農業科学院副院長、范農業科学院蚕桑研究所副所長、鮑先生、徐先生 この方々とは8か月ぶり。それに 劉安徽農業大学生命科学院院長、李書記、李秘書、陳先生、肖先生、沈先生、、 多彩な顔が揃いました。 |
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一夜明けて9日 午前中は安徽省農業科学院蚕桑研究所で学術交流。 熱心な交流が行われました。 そして昼食後は合肥近郊の散策へ。 |
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さて、沈さん運転のワゴン車で合肥市西北郊外へ。 車を降りると・・・・・・・ 勇壮な騎馬3頭が待ち受けていました。 近づいてみれば・・・ 今にも青龍刀が振り下ろされそう。 ど迫力です!! |
向こうには厳つい門構えが見えます。 |
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門は公園の入り口でした。 ”三国新城遺址公園” と扁額が上がっています。 長江を境として北は魏、南は呉。三国故地といわれる合肥は魏の国の南部中心地だったのです。 この公園はその一大テーマパーク。 攻め来る呉を迎え撃つために老朽化した合肥城にかわって作られた前線基地”新城”の遺跡に建物などを復元して造られています。 |
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公園に入ってすぐに見かけた建物です。 復元されたものではありますが・・上海豫園などにみられる優雅に反り上がった屋根とは対照的に直線的で武骨な作りです。 しかし それが却って戦国時代、乱世のの重苦しい雰囲気を良く出しているように思いました。 |
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さあ中へ入りましょう。橋の手前に衛兵、奥にはまた門があり、その左右には土塁が続いています。 これが新城の内外を分ける境界です。 堀を巡らし、垣を作る防御体制は日本の城と同じ ・・・いや日本が習ったのでしょうね。 |
土塁はごろた石と土とを交互に層状に積み重ねて頑丈この上ない構造をしています。 ところで・・これは土塁の外を取り巻くお堀です。 ゆるやかに曲線を描いてなんだかのんびりしてしまいます。戦の乱世の雰囲気がしませんが・・・ 日本にも福岡県大野城に防人たちが築いた防御施設が残っていますね。外側(博多湾側)に堀、内側(大宰府側)に土塁が築いてあるそうです。亡命してきた新羅の指導によって築いたそうですが、基本はやはり中国から学んだのでしょね |
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橋を渡って城内へ。 グル〜ッと 土塁で囲まれてめっぽう広いです。 合肥を守るために大勢の兵士たちが集結し、鍛練に明け暮れたに違いありません。 さすが中国。規模が違います。 槍を突き立てて兵士が整然と並んでいます。 向こうには櫓のある門が見えます。 |
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三国文物陳列館がありました。遺跡からの出土品や新城史跡を巡る攻防についての展示がありました。 そのなかで一番気に入ったのは これ。 支柱のところにある綱を引くと竿の先の籠に入れた石が飛んで行く、投石機、言わば元祖ピッチングマシンです。 降り注ぐ石を避けながら突進する敵方は堪らなかったでしょうが・・ 頭骸骨ほどの石がビュンビュンと飛ぶなんて・・ 飛ばすほうは爽快だっただろうな! などと平和ボケした思いが頭を過ぎりました。 |
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武将の雄姿です。 馬もサラブレッドのようなスマートさはありませんが、道産子のように農耕などの力仕事には頼りになる力強い脚をしています。 スピード感あふれる乱戦というよりは 怒涛の強さを誇る一騎打ち といった戦いを想像してしまいました。 |
石碑がありました。 千騎隋風靡、萬騎?龍驤 と駆け巡る騎馬の様子が詠われているようです。 馬の容姿とは関係なく戦いの場は修羅場であったのですね。 |
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この三国新城遺址公園はまだ建設の途中でした、80%程度が終ったところかな?。完成したら戦国絵巻などのアトラクションなども催してきっと人気のテーマパークになることでしょう。 でも古の群雄割拠の情景を堪能することができました。 | ||
そして例によって円卓を囲んでのひと時を過ごし、 徐さんと鮑さんの招待で宿近くのティーラウンジへ |
そこで徐さんが紹介してくれた朱方舟さん。 日本語がとても流暢。独学だそうでした。 そして・・・・・・「来月から名古屋大学大学院に留学します」 ですと! 未来の建築家は”ドラえもんのテーマ”を弾いて歓迎してくれました。 |
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