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江月照松風吹
(こうげつてらし しょうふうふく)

今年も中秋を過ぎました。雨模様ではありましたが美しい月を愛でることが出来ました。そこで 遅ればせながら月をテーマに描いた絵を掲載することにしました。一昨年の秋(H26)の作品です。

江月松風
月で思い出すのは 寒山詩 ”吾心似秋月・・・” と この禅語 ”江月照松風吹” でした。

江月照松風吹
  江月(こうげつ)照らし 松風(しょうふう)吹く
永夜清宵何所為
  永夜(えいや)の清宵(せいしょう)何の所為(しょい)ぞ

徳源禅寺直心会(じきしんかい)に通い始めたときに瑞雲軒老大師が居士向けに提唱してくださっていた「証道歌」の中の一節です。
まだ坐禅のしかたや作法など身につく前でしたので足の痛いのを苦痛に思いながら なんとなく「美しい詞だなあ」と思って聞いていました。

ところで、日本では「雨月物語」の「青頭巾」にこの詞がでてきますね。
快庵禅師という高僧が 心を病んで人喰いとなった僧に ”この詞を唱えながらよく考えて見よ” と諭します。
禅師が一年後再訪した時、僧は禅師の与えた青頭巾をかぶり小声で「江月照らし・・」と唱え続けていました。そこで禅師が柱杖で一撃すると青頭巾と白骨のみが残っていた。
と言う物語です。

月は美しく水に映りたいなどとは考えていないでしょう。
水面も美しく月を映すように揺れようなどとは思っていないでしょう。
松は風を 風は松を意識して吹き吹かれているわけではないでしょう。
夜は自ら清宵であろうとしているのでしょうか。 何れも何かの所為を持っていて・・・・とは思えません。

物の本によると
「すりあげた悟後の妙境界。悟りの臭みも無くなった妙處。天眞の妙消息」『禅林句集』
あるいは「それは何の為でもなく唯天然自然にそうなのである」と解説されています。

難しいです。
せめて ”清宵を清宵と受け取れる” そんな彪さんでありたいです。

「江月松風」・・・・第7回京都全日本水墨画・俳画・文人画秀作展

・・・・・・平成28年9月23日
専門道場
禅の修行を目的とした禅寺。各地から修行僧(雲水)が集まってきて修行している。

蓬莱山徳源禅寺
臨済宗妙心寺派の専門道場 名古屋市東区新出来町神機妙用禅師の開山 江松軒嶺興嶽老師のもとに雲水20余名が修行中。

師家(しけ)、老大師
禅の奥義を伝承し次の世代を指導する禅僧。尊敬の念を持ちつつ親しんで老師さんと呼ぶ事もある。

雲水(うんすい)
禅の修行僧。良師を求めて全国を行雲流水の如く行脚(あんぎゃ)するところから雲水と呼ぶ。

参禅(さんぜん)、入室(にっしつ)
禅の修行をすること。狭義には老師と1対1で全人格をぶつけ合いながら薫育を受けること。
そのために老師の部屋に行くことを入室と言う。

単(たん)、開単(かいたん)
修行のために与えられた場所を単と呼ぶ。普通
畳一枚分。修行寺や坐禅会などを発足させることを開単、坐禅のために用いる布団を単布団、と呼ぶ。

居士(こじ)、大姉(だいし)
彪さんのように僧籍にない参禅者。男性を居士、女性を大姉と呼ぶ。

境涯(きょうがい),境界(きょうがい)
境涯は一般的には「貧しく苦労の絶えない境涯」と言ったように暮らしの環境などを表すことに用いられています。しかし、禅ではそのような外面の事ではなく、人の内面の状態を「境涯」と言います。人としての心の在りよう、人生や物事を見つめる見識の高さ思慮の深さ、と言った精神面の品格とでも言いましょうか。そして 人の言行や風貌はその品格を、境涯を、元として現れてくるのです。

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