23. 種瓜得瓜種豆得豆 (ウリを種{う}えてウリをえ、豆を種えて豆をえる) |
これまで自己流で画を描いてきましたが 少しは基本を習得しておこうと思い4月からC大学のオープンカレッジで水墨画を習うことにしました。 アラセブンになってからの学生気分が新鮮で週一回の教室を楽しんでいます。 さて、この語は教室の鄒涛先生がその作品集の結びに書かれていたものです。先生によれば 中国の古人の言葉だそうです。 「種瓜得瓜・・・」 瓜の種を植えて瓜を収穫し、豆を植えて豆を得る。 あきらめずに続けろ! ネヴァーギヴアップ!! ところで・・瓜の種から豆は出来ないし、豆の枝に瓜は生らないのですが・・ 「種瓜得豆」 ・・瓜を得ようとして色々やってきたが 豆が得られた。 う~ん これも納得できます。波乱万丈の人生の秀でた見識の一つですね。 |
・・・篆刻をしてみました。・・・・平成21年7月7日 |
カテゴリー'折々の言葉'
22. 騎牛帰家 (牛にのり家に帰る) |
平成21年己丑(つちのとうし)となりました。禅で「牛」と言えばまず廓庵禅師の「十牛図」を思い起こします。 十牛図 それは 本来の自己を牛に例え、牛を探して歩く姿で禅修行の進捗状況を表しています。 そのような十牛図を解説する程の力量も資格も彪さんにはありませんが、年の初めの語として考えてみることにします。 さて、「騎牛帰家」はその第6に有り、ものの本によれば 本来の自己を手にいれ(第4得牛)、暴れまわる自己をてなづけ(第5牧牛)、自在に使えるように慣らし終わって樵歌を歌い、童歌を笛吹いたりして気ままに我が家に帰る段階と言うのです。 のっしのっしと力強く歩く牛に騎って家に帰るなんて、とても気持ちの良いものでしょうね。 「なぁんも言えない」気分なのではないでしょうか!! 振り返ってこの頃の世情を思うと「家に帰る」ことをすっかり忘れてしまったように思います。 もっとも その手始めは この彪さん自身からです。 |
・・・・平成21年1月2日 |
21. 吾唯知足 (われただたるをしる) |
この前の節「知足」はお読みいただけましたか? 万拙居士の物静かな語り口をお伝えできないのが残念ですが、何かしら心に触れるものが伝われば、嬉しく思います。 さて、引き続いて今度は「吾唯知足」です。同じ「知足」ですが、前に「吾唯」の二文字が付いています。 これは竜安寺のあの有名な石庭のある方丈のその裏庭 茶室の露地の蹲(つくばい)で見る事ができますね。 ![]() この「吾唯」の二文字 彪さんにとってはとてつもなく大きな意味を持った二文字です。 中でも「唯」の一文字は 「ただもの」ではありません。 「吾」が付き、さらに「唯」が付いて「吾唯知足」となると ”私は唯 足りているということを知っただけです” となるのですが、これには そのような苦節は これまでに数多くの人たちが踏破して居られます。 「吾唯知足」 この言葉は しばしば 人間の持つ欲望の深さを軸にした格言として解説されているようですが、こうして「吾唯」に注目すると そして ”足りている自分を精一杯活かして生きて行きたい” と思います。 |
・・・・平成19年12月24日 |
20. 知足 (たるをしる) |
平成になって20年になろうとしています。 でも、この20年は大変おおきな様変わりの時代であったと思います。 ひとつひとつ挙げればきりがありませんが・・そのひとつに “人として基本的に備えていなければならないと思われる徳目の欠如” を挙げることができると思います。 そして、彪さんは 最近、何かにつけて この「知足」と言う言葉を思い出すことが多くなりました。 ・・・などと言って 彪さんが徳目などを語ることが出来るわけがありません。 これから書くことは 円文寺で徹道万拙居士が ある入門者の質問に答えて解説してくれたものです。 ![]() ”足るを知る、 ・・それはね 盥(たらい)の水を手前へ引き寄せることだよ。” と言うのです。 貪欲に引き寄せても 水は指の間からどんどん逃げて行きます。 というのが万拙さんの提案でした。 手前の水は減ることがありません。水が戻ってくるのです。 なぜ美味しくなるのでしょうか? |
・・・・平成19年10月16日 |
19. 一超直入 (いっちょうじきにゅう) |
平成19年丁亥年となりました。 「いのしし」と言うとやっぱり「猪突猛進」のイメージですね。今年の年賀状にはそれとよく似た言葉として 「一超直入」を用いました。 「一超直入」・・・”大きく一跳び、まっしぐらに入り込む!” そんな状況を見事に表していると思うからです。 それも単なる跳びではなく ”何かを超越する跳び” なのですよね。さて一跳びして何を超えどこに入り込むのでしょうか・・・・「一超直入」は「如来地」と続きます。 ![]() 一超直入如来地・・(いっちょうじきにゅうにょらいち)・・ 禅では 本当にそうなの? 信じられなぁ~い!! そのためには 「一超直入」 決死の一跳びをしなくてはならないと言うのです。そしてその一跳びは坐って坐って坐り抜いてするのです!! |
・・・・平成19年1月2日 |
18. 吾心似秋月碧潭清皎潔 (わがこころしゅうげつににたり、へきたんきようしてこうけつ) |
平成18年10月中秋の名月が近づきました。 先日 仕事帰りに書店に寄りたくて通り抜けたJR名古屋高島屋11階。たまたま掛け軸の特売をしてたので何気なく立ち寄ってしまいました。 日本画、水墨画、墨蹟、・・・名品ぞろいのそのなかで目に入った一円相。円の繋ぎのあたりに人物を入れた構図が新鮮でした。 なんでも染めの絵付けをしておられる方の作品とのこと。流石だな~と思いつつ、その構成を拝借したくなりました。 「吾心・・」を描きたくて・・・ ![]() 山中に隠遁し心豊かに過ごした寒山の澄み切った心がうらやましいほどに美しく詠われています。 そして この語は当然寒山の画に讃として添えられることが多いです。 しかし、ここでは人物として布袋さんを描いてみました。 鏡のように澄んだ水面に静かに揺れる月影。天空の月と呼応して至福の妙景ですね。 そんな風情の中に身を置けば 少なくともそこに居る間だけは この彪さんでも自ずから心が皎皎と輝きを増し静寂安堵の世界に遊ぶことが出来るかも知れません。 とりあえず・・・一年に一度 この「吾心似秋月」を思い起こすことにいたします。 |
・・・平成18年10月3日 |
17. 金鶏報暁五更前 (きんけい あかつきをほうず ごこうのまえ) |
平成17年乙酉年となりました。 以前から鶏にちなんだ語として「鶏鳴五更天(鶏は五更の天に鳴く)」 というのを知っていましたが、もうすこし良い語はないかと思い禅林句集を調べていて この語に辿り着きました。 「五更」は夜を五つにわけて現すときの最後の時刻 明け方3時~5時頃 の事だそうです。 ![]() 「鶏鳴五更天」・・鶏は明け方に鳴く 何事に付けても 事が起こってしまってからあたふたすることの多い彪さんには望むべくもない事です。 |
・・・・平成17年1月2日 |
30.. 耐雪梅花麗 (たいせつ ばいかうるわし) |
昨年(平成25年)の春の水墨画教室作品展に古梅図として花をつけた梅の古木を描き出展しました。
その讃として何か良い詩文はないかと探していてこの語を見つけました。 耐雪梅花麗 たいせつ ばいかうるわし ![]() ニューヨークヤンキースで活躍中の黒田投手がチームメートに「好きな言葉」として伝え、 「梅の花は、寒い冬を耐え忍び、春になれば麗しく咲く」 ところでこの語は西郷隆盛が甥の海外留学に際して贈った漢詩の一節だそうです。 彪さんがあれこれ言う隙間はありません。 以下が 隆盛の漢詩です。 示外甥政直 外甥(がいせい)政直(まさなお)に示す 一貫唯唯諾 一貫、唯唯(いい)の諾 (解釈)
鹿児島高等学校 http://www.kagoshima-h.ed.jp/ ・・・・・・平成26年4月25日
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16. 随處作主立処皆真 (ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしん) |
この語も 常に心がけたい語としてまえまえから頭の隅に入れている語です。 「どこにいても主体性を失うことが無ければ、何時もそこに真実が具現している。」 とあります。なかなかむつかしい詞です。彪さんは ほとんど実践できていません。 もう一度心に刻み直しておきたいと思って、昨年中国旅行の折りに落款に彫って貰いました。 ![]() 主体性 これがなかなか掴みがたくまた上手く発揮できません。 |
・・・・平成16年2月12日 |
15. 水随方円器 (みずは ほうえんのうつわに したがう) |
昨年から今年、今年から来年。 彪さんにとって いろいろと変化の多い年です。 殊に仕事の面で 今までにない変化をする必要に迫られています。 未経験の製品との関わりが始まったり、新しい職場に所属を変えながら今まで行ってきた仕事を続けることになったり、相変わらず出張は多いですが 通勤の様子も変わりました。 そんな 変化に順応してやって行かねばなりません。 さて、この語は 特別に説明をすることは無いでしょう。 水は 本当に 自由自在。四角い器には四角くなって、円い器には円くなって入って行きます。 人も 水のような自在さがあれば どのような変化にも対応し順応して行けるのでしょうね。 ![]() 器が円いのに 三角のままで入ろうとして、ギクシャクしたり、悩んだり、 |
・・・平成13年6月24日 |
<蛇足>ここに添える画には悩みました。結局この画にしましたが・・・・ この画は 通常 禅の深淵に行き届いた先達たちが その境涯を表現したりする時、 「言葉で言い表すことの出来ない 微妙な事実 真実」 を現したい時、によく描かれます。彪さんには その力量がありません。こんな処で使うのがやっとです。 ところで ある禅の先輩から「彪 お前 この画をなんと読む!」と問いつめられた事がありました。 「これはなぁ こう読むのだ!」・・・「こうだ!!」 |
・・・平成13年6月24日 |
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