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30..
耐雪梅花麗
(たいせつ ばいかうるわし)
昨年(平成25年)の春の水墨画教室作品展に古梅図として花をつけた梅の古木を描き出展しました。
その讃として何か良い詩文はないかと探していてこの語を見つけました。
耐雪梅花麗   たいせつ ばいかうるわし
耐雪梅花麗

ニューヨークヤンキースで活躍中の黒田投手がチームメートに「好きな言葉」として伝え、
監督はじめチームメートに感銘を与えた言葉だそうです。

「梅の花は、寒い冬を耐え忍び、春になれば麗しく咲く」
・・・・・苦しみなくして栄光なし・・・

ところでこの語は西郷隆盛が甥の海外留学に際して贈った漢詩の一節だそうです。
鹿児島高等学校のホームページの”校長室より” というページに 黒田投手のエピソードと共に漢詩の紹介がされていました。
隆盛の甥に対する慈しみと人生に対する心根の素晴らしさに感激する詩です。

彪さんがあれこれ言う隙間はありません。
只 ひたすら 耐雪梅花麗 と繰り返してみるだけです。

以下が 隆盛の漢詩です。
  (”校長室より”から転記させてもらいました。)

示外甥政直   外甥(がいせい)政直(まさなお)に示す

 一貫唯唯諾  一貫、唯唯(いい)の諾
 従来鉄石肝  従来、鉄石(てっせき)の肝
 貧居生傑士  貧居(ひんきょ)、傑士(けっし)を生み
 勲業顕多難  勲業(くんぎょう)多難に顕(あら)わる
 耐雪梅花麗  雪に耐えて梅花麗(うるわ)しく
 経霜紅葉丹  霜を経て楓葉(ふうよう)丹(あか)し
 如能識天意  如(も)し、能(よ)く、天意を識(し)らば、
 豈敢自謀安  豈(あに)敢(あえ)て、自から安きを謀(はか)らむや

(解釈)
 引き受けたと心にちかったことは、
 どこまでもただただひたむきにやり通さなければならない。
 鉄の如く石の如く守ってきた胆力は、
 いつまでもそれを変えてはならない。
 豪傑の士というものは貧しい生活をしてきた人の中から現れ、
 勲評価される事業というものは多くの困難を経て成し遂げられるのだ。
 梅の花は雪に耐えて麗しく咲き、
 楓の葉は霜を経て真赤に紅葉する。
 もしこれらの天意が理解できたのなら、
 安楽な生き方を選ぶことなどどうして出来ようか。

鹿児島高等学校 http://www.kagoshima-h.ed.jp/
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梅については 折々の言葉(12)に
  12 不是一番寒徹骨 爭得梅花撲鼻香
を記載しています。そちらもお読みください。
 

・・・・・・平成26年4月25日


29..
白扇倒懸東海天
(はくせんさかしまにかける とうかいのてん)
7月に富士山が世界文化遺産に登録されました。嬉しいことです。
そして富士山で思い起こすのは石川丈山の詩「富士山」です。
東海点描

仙客来遊雲外巓   仙客來り遊ぶ雲外の巓
神龍棲老洞中渕   神龍栖み老ゆ洞中の淵
雪如紈素煙如柄   雪はガン素の如く煙は柄の如し
白扇倒懸東海天   白扇倒に懸かる東海の天

この詩の結句「白扇倒懸東海天」が大変気に入っています。
雪を頂いた富士山を白扇と見立て 逆さまに懸っている と詠っています。
それを うがった見方が好きな彪さんは敢えて”懸ける” と読んでいます。

東海道を通りがかった誰かが ”ひょい” と懸けて行った・・・などと想像してしまうのです。

さて空の色は・・・済んだ秋の空? それとも霞がたなびく春?

かわって地上は・・・?
  扇の風が・・・やはり暖かい風が佳いかな?
  浜辺では地引網が始まって・・にぎわい始めているのでは!

と言うことで画にしてみました。
”東海点描” と題しました。

「東海点描」・・・・第40回全日本水墨画秀作展
 

・・・・・・平成25年8月1日


28..
話盡山雲海月情
(かたりつくす、さんうんかいげつのじょう)
この語は徳源寺に通うようになって一年が過ぎた頃に覚えた語です。当時目を通すことの多かった禅籍の紙カバーに書いて常に目に触れるようにしていました。
最近 再びその本を読み直したくなって久しぶりにこの語を思い出しました。
睦友

この語は 「一重山盡復一重」 と云う語の続きです。

一重山盡復一重   一重 山尽き また一重
話盡山雲海月情   語り盡くす 山雲海月の情

この語は碧巌集という禅籍の中で
 馬祖禅師が百丈禅師を大悟に導く時の指導の様子を讃える詩文として出て来ます。
馬祖禅師は幾つかの問答の後いきなり百丈の鼻をグイッと捻ってしまいます。
そのひとひねりが山雲海月の情を語る一捻りであった というのです。

さて その一捻りはともかくとして この語からは
 ” 重なる山山を越えてきた、がまたまた次の山山が連なって・・・
  連なる山々を乗り越え乗り越えてきた・・・
  そんなもの同士が互の積み重ねを認め合い、
  山よ、雲よ、海よ、月よ と見つめてきたところを語り合っている。”
そんな 楽しく和気藹々と語り合う風情も浮かんできます。

曾てふた回りほど年上の先輩たちが
 「お前は南方か 俺は満州だ お互いによく生きて帰ってきたなぁ」
 「さぁ 飲もう!」
と見知らぬ同士で盃を交わしているのをよく見ました。
近年は同じ姿を数年年上の先輩たちに見ています。
 「必死に働いて高度成長を成し遂げてきたんだよなぁ」
これらの会話は決して懐古趣味的なものではありません。
互いに励ましあい親しみ合って進む推進力としての会話です。

こんな景色も まさに「話盡山雲海月情」のように思われます。

これからは
 ” 語る人の言葉の背後にある山雲海月を見落とすことなく聞き取ってゆく ”
そんな心構えでいようと思います。

「睦友」・・・・第16回全国総合水墨画展
 

・・・・・・平成24年9月10日


27..
孤舟蓑笠翁獨釣寒江雪
(こしゅうさりゅうのおう ひとりつる かんこうのゆき)
水墨画教室に通うようになって3年が経ちました。そして今年も11月下旬、学期末恒例の生徒作品発表の場として第13回日中絵画篆刻展が開かれました。
今回は ”寒江獨釣(かんこうどくちょう)”と題して この画を出しました。
柳宗元の作と言われる詩「江雪」を味わいたくて描いたものです。
寒江獨釣
さて、その詩と言うのは
「江雪」       柳宗元
千山鳥飛絶   千山 鳥 飛び絶え
萬徑人蹤滅   萬径 人蹤を滅す
弧舟簑笠翁   弧舟簑笠の翁
獨釣寒江雪   獨り釣る 寒江の雪
「山という山から鳥の飛ぶ姿が消え,
径という径から人の姿も足跡も消えてしまった,
小舟がたった一艘 乗っているのは蓑笠姿の老人,
独り静かに釣り糸を垂れ・・・川面に津々と雪が舞う。」

連なる山山を眼下にして飛ぶ鳥の姿も途絶えてしまい、
樵や杣人が通った道も雪がかくしてしまった。
そのような寒空の下で ただ独り 川に小舟を浮かべて釣をする翁の姿
白銀の世界に溶け込んで釣りする蓑笠姿を 正に一幅の画として詠っています。
この詩は 官吏であった柳宗元が左遷により辺地での暮らしを余儀なくされ作ったとのこと

そう聞くと 心情余りあるものが伝わってきます。
蓑笠を着ていてもきっと寒さが身に染みることでしょう。

しかし 禅の語として用いられる場合は すこし違った読み方をするようです。

“深山絶壁、幽邃境の光景 情(じょう)尽き識(しき)滅したる悟りの境涯
渺渺たる寒江に 弧舟を浮かべて釣する老翁、寂々たる一境” (禅林句集)

とあります。
情尽き識滅したる悟りの境涯 とはどのような境涯 心のありよう なのでしょうか?
彪さんには見当もつきません。

一般的に この詩を描く場合には 景色の中に弧舟で釣する簑笠の翁 が描き込まれています。
しかし ここでは 老翁の境涯に触れられたら・・・と思い 敢えて小舟から見た景色として描いてみました。

 

・・・・・・平成23年12月10日


26.
廬山煙雨淅江潮
(ろざんはえんう,せっこうはうしお)
水墨画教室に通うようになって2年が経ちました。そして平成22年12月初旬、学期末恒例の生徒作品発表の場として第12回日中絵画篆刻展が開かれました。
出品にあたって描いたのが ”廬山淅江図(ろざんせっこうず)”と題したこの画です。
蘇東坡の作と言われる詩を 彪さんのイメージで表してみました。

さて、その詩と言うのは
  廬山烟雨浙江潮  廬山は煙雨、浙江は潮
  未到千般恨不消  未だ到らざれば千般恨み消えず
  到得歸來無別事  到り得、帰り来れば 別事なし。
  廬山烟雨浙江潮  廬山は煙雨、浙江はうしお
         蘇東坡

  『廬山は煙雨・浙江は潮』って天下の奇観として
    良く話に聞くけど
    どんなに素晴らしいところなのだろうか!
    行ってみたいなぁ
  まだ行ったことがないから、行けない悔しさ・・
    思いは消えるどころか募るばかりさ。
  この間、やっと念願が叶って行って来たよ。
    だが、帰って来た今は
    別にどうということもなかったなぁ・・
  どうと言うことはなかったけど・・それでも・・・
    やっぱり・・・
  『廬山は煙雨・浙江は潮』 なのだよなぁ。

というのです。
この詩は 第一句(起)と第四句(結)とが同じ言葉となっていて面白いです。
面白いというのは 同じ言葉であっても
初めの「廬山烟雨浙江潮」 と 最後の「廬山烟雨浙江潮」 とは 全く重さが違うと思うからです。
体得した人の言葉 と 聞きかじりの言葉とは 説得力に大差がありますよね。

そしてこの詩は 良く 禅語として用いられており、

 ”「悟了同未悟」といい 「悟り」とは格別のものがあるわけではなく、悟った後もまだ悟れなかった時と少しも変わったことはない ”

ことを示しているそうです。
となると まだ「自分をなんとかしたい!」とか「早く安堵したい」とか 色々の恨みを持って諦めきれないでいる彪さんにとっては 第三句と第四句は程遠いことです。
画讃には 初めの二句しか書けませんでした。

参照:「廬山:浙江潮

・・・・・・平成23年1月4日

25.
嘯月
(しょうげつ)

平成22年庚寅となりました。虎には月が良く合いますね。
月下虎嘯(げっかこしょう)”と題し、「月を背にして吼える虎の画」 をよく見かけます。彪さんお好みのモチーフの一つですが・・・。
嘯月” の方がより一層の’彪さん好み’です。

嘯月」 月に嘯(うそぶ)く  のですから 虎は月に向かって咆哮一声しています。
その気宇の高さは他を寄せ付けません。
そして、その姿を見たものはその姿を自らの姿として写し取る事が出来ます。
自らが虎となって月に向かって吼える姿を想像してみてください。
如何ですか?
月を背にした虎では 彪さんは虎の恐ろしさと対面することにはなっても 虎の気宇を我が心中に定着することができません。

さて、気宇の高さと言えば まず思い起こすのが 今年のNHK大河ドラマ 坂本龍馬 です。
高知の桂浜には 太平洋の遥か彼方を見つめる龍馬の銅像が立っています。
吼えてはいませんが右腕を懐に口を一文字に結んで、気宇の高さが滲み出ています。
正に嘯月の姿ではありませんか!!
現在のこの荒んだ世の中に最も望まれる人材でしょう。

翻って・・・彪さんはもとよりそのような気宇は持ち合わせておりません.
しかし 心の中には嘯月の一語を置いておきたいと思っています。

・・・・・平成22年1月3日


24.
行到水窮處坐看雲起時
(ゆいてはいたるみずのきわまるところ ざしてはみるくものおこるとき)
初めて作品を表装し、第11回日中友好画展に出しました。
4月から習いにゆき始めた水墨画教室の鄒涛先生の生徒たちの作品発表ですが、中国からの出品もあって充実した展覧会でした。
その題材に選んだのがこの語です。
先年 黄山に遊んだ時 この語を思いおこしました。その後 この語を見るたびに黄山を思い出しています。

もとは王維の詩で 山中での生活を詠った詩の一節だそうですが、禅語としてはこの対句の部分が取り上げられています。

行到水窮處」 水を求め沢伝いに上流へ、終に水の流れの途絶える処まで来ました。
坐看雲起時」 ゆっくりと坐って モクモクと湧き上がってくる雲を看ています。
行と坐 水と雲 対比が趣をかもし出しています。

ものの本によれば ”安閑無事、水とともに行き雲とともに去る無心の境涯をい言う” とあります。
しかし、語を読むときはその人の境涯に応じた理解があります。彪さんには無心の境地など程遠いものです。
ただ、この語が好きなのは
 ”モクモクと浮き出てくる雲を眺める
ところです。彪さんにとって モクモクと湧き上がるのは煩悩妄想です。なんとも始末に負えないのですが・・・それを楽しんで眺められる境地があると言っているように思えるのです。

煩悩妄想が湧き上がるその時その瞬間を見つめる なんて、とても出来る技ではないと思いますが、それには長い道のりを辿って求めてゆかねばならないと云う事でしょうね。

もしその手法が手に入り、それを自在に使いこなせれば・・・。きっとすばら・・・・・・
やめときましょう 出来もしないことを!  ・・・これこそ妄想ですね。
やはり今はひたすら
  ”おいしい水を求めて沢を登り続ける
ことに専念しようと思います。

・・・「山中閑時」と題してみました。・・・・平成21年11月27日

23.
種瓜得瓜種豆得豆
(ウリを種{う}えてウリをえ、豆を種えて豆をえる)
これまで自己流で画を描いてきましたが 少しは基本を習得しておこうと思い4月からC大学のオープンカレッジで水墨画を習うことにしました。
アラセブンになってからの学生気分が新鮮で週一回の教室を楽しんでいます。
さて、この語は教室の鄒涛先生がその作品集の結びに書かれていたものです。先生によれば 中国の古人の言葉だそうです。

「種瓜得瓜・・・」 瓜の種を植えて瓜を収穫し、豆を植えて豆を得る。
当たり前ですが、瓜がほしければ瓜の種を撒き 豆がほしければ豆を植える。
目標を決めたらそれに叶う準備をし努力をすることが必要であることを端的に言っている言葉ですね。
さすが漢字の国、簡潔でありながら示唆に富んだ語だなぁ~と感心しました。そして反省もしきりです。
明確な目標、それに対する準備、十分な取り組み・・・果たしてして来ただろうか??

あきらめずに続けろ! ネヴァーギヴアップ!!
夢は必ず実現する!!

ところで・・瓜の種から豆は出来ないし、豆の枝に瓜は生らないのですが・・
鄒涛先生は こんなことを言ってみえます。

 「種瓜得豆」  ・・瓜を得ようとして色々やってきたが 豆が得られた。
  それでも好いじゃないですか!! そうでしょ!!

う~ん これも納得できます。波乱万丈の人生の秀でた見識の一つですね。

・・・篆刻をしてみました。・・・・平成21年7月7日

22.
騎牛帰家
(牛にのり家に帰る)
平成21年己丑(つちのとうし)となりました。禅で「牛」と言えばまず廓庵禅師の「十牛図」を思い起こします。
十牛図 それは 本来の自己を牛に例え、牛を探して歩く姿で禅修行の進捗状況を表しています。
そのような十牛図を解説する程の力量も資格も彪さんにはありませんが、年の初めの語として考えてみることにします。
さて、「騎牛帰家」はその第6に有り、ものの本によれば 本来の自己を手にいれ(第4得牛)、暴れまわる自己をてなづけ(第5牧牛)、自在に使えるように慣らし終わって樵歌を歌い、童歌を笛吹いたりして気ままに我が家に帰る段階と言うのです。

のっしのっしと力強く歩く牛に騎って家に帰るなんて、とても気持ちの良いものでしょうね。

「なぁんも言えない」気分なのではないでしょうか!!

振り返ってこの頃の世情を思うと「家に帰る」ことをすっかり忘れてしまったように思います。
それも 牛を探しに出かけるているのならともかく、ハイエナのように肉を求めてやたらと動き回るだけの”家出”で・・・
そろそろ本来あるべき姿を思い起こし、そこへ戻るべき時のように思います。

もっとも その手始めは この彪さん自身からです。

・・・・平成21年1月2日

21.
吾唯知足
(われただたるをしる)
この前の節「知足」はお読みいただけましたか?
万拙居士の物静かな語り口をお伝えできないのが残念ですが、何かしら心に触れるものが伝われば、嬉しく思います。
さて、引き続いて今度は「吾唯知足」です。同じ「知足」ですが、前に「吾唯」の二文字が付いています。
これは竜安寺のあの有名な石庭のある方丈のその裏庭 茶室の露地の蹲(つくばい)で見る事ができますね。

この「吾唯」の二文字 彪さんにとってはとてつもなく大きな意味を持った二文字です。 中でも「唯」の一文字は 「ただもの」ではありません。
「吾」が付き、さらに「唯」が付いて「吾唯知足」となると

”私は唯 足りているということを知っただけです”

となるのですが、これには
”いろいろと求め歩いたけれども その結果は、
何も難しいことを知った訳ではありません。”

という前置きがあるように思え、
「悩み多い迷いの人生を解決してしまうような”ひと際抜きん出た解答” を求め続けた」 と言う この言葉に至る経緯が見えて来るのです。
「吾唯知足」は
「必死に自己を見つめ 苦悩し彷徨い歩いた結果として得られた結論」
  「安心の境地に至って初めて言い得る言葉」
であるように思います。

そのような苦節は これまでに数多くの人たちが踏破して居られます。
そして その第一人者は
知足の者は貧しといえども富めり、
   不知足の者は富めりといえども貧し

と言い残されているそうです。
そう、その第一人者とは
 シャカ族の王子の身を捨て、苦悩の道をたどった お釈迦様なのです。

「吾唯知足」 この言葉は しばしば 人間の持つ欲望の深さを軸にした格言として解説されているようですが、こうして「吾唯」に注目すると
”自分と言うこの存在は 何ひとつ欠けてはいない、これで十分に足りているのだ”
”それがわかっただけだ”

と読むことが出来るのです。
釈迦のその比類まれなる苦悩の結果の言葉として 彪さんは「吾唯知足」を重く重く受け止めて置きたいと思います。

そして ”足りている自分を精一杯活かして生きて行きたい” と思います。
追記:そうそう とあるサイトで見つけた解説を紹介して置きましょう。これもよい解説だと思います。
  「足ることを知る人は、心が穏やかであり、足ることを知らない人は 心がいつも乱れている

・・・・平成19年12月24日

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