16.
随處作主立処皆真
(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしん)
この語も 常に心がけたい語としてまえまえから頭の隅に入れている語です。
「どこにいても主体性を失うことが無ければ、何時もそこに真実が具現している。」
とあります。なかなかむつかしい詞です。彪さんは ほとんど実践できていません。
もう一度心に刻み直しておきたいと思って、昨年中国旅行の折りに落款に彫って貰いました。

主体性 これがなかなか掴みがたくまた上手く発揮できません。
主体性を持って行動しているつもりが ややもすると「自我に基づく行動」に成っています。そして、それでもなお「主体となって動いている」ように錯覚してしまうのです。
それに主体と言うことそのものが良く解らなくなってしまって・・・
児童虐待や誘拐、自己中心的で衝動的な犯罪、どれもこれもエゴを自己と勘違いして起こしているとしか思えません。真の主体を見失っているように思われます。
先に”主人公”について書いてみました。
「作主」とは
「”主人公”としての自己をしっかり自覚しておいて、その”主人公”で居れ」
と言うことではないでしょうか。
そして もう一つ むつかしい事があります。それは随所と言うことです。
何処でもどの様なときでも・・・どうしたら随所に主となる事が出来るのでしょうか?
皆さんはどの様にしておられるのでしょうか?
嬉しいときでも有頂天になってしまうことはなく、悲しい時でも打ち拉がれてしまうことはなく、怒かるときでも怒かっている自分を宥めつつ、・・・
彪さんは「水随方円器」で在りたいと思っています。
そうは想って居るのでですが・・でも・・相変わらず 右往左往の日々が続いています。

・・・・平成16年2月12日