24.
行到水窮處坐看雲起時
(ゆいてはいたるみずのきわまるところ ざしてはみるくものおこるとき)
初めて作品を表装し、第11回日中友好画展に出しました。
4月から習いにゆき始めた水墨画教室の鄒涛先生の生徒たちの作品発表ですが、中国からの出品もあって充実した展覧会でした。
その題材に選んだのがこの語です。
先年 黄山に遊んだ時 この語を思いおこしました。その後 この語を見るたびに黄山を思い出しています。

もとは王維の詩で 山中での生活を詠った詩の一節だそうですが、禅語としてはこの対句の部分が取り上げられています。

行到水窮處」 水を求め沢伝いに上流へ、終に水の流れの途絶える処まで来ました。
坐看雲起時」 ゆっくりと坐って モクモクと湧き上がってくる雲を看ています。
行と坐 水と雲 対比が趣をかもし出しています。

ものの本によれば ”安閑無事、水とともに行き雲とともに去る無心の境涯をい言う” とあります。
しかし、語を読むときはその人の境涯に応じた理解があります。彪さんには無心の境地など程遠いものです。
ただ、この語が好きなのは
 ”モクモクと浮き出てくる雲を眺める
ところです。彪さんにとって モクモクと湧き上がるのは煩悩妄想です。なんとも始末に負えないのですが・・・それを楽しんで眺められる境地があると言っているように思えるのです。

煩悩妄想が湧き上がるその時その瞬間を見つめる なんて、とても出来る技ではないと思いますが、それには長い道のりを辿って求めてゆかねばならないと云う事でしょうね。

もしその手法が手に入り、それを自在に使いこなせれば・・・。きっとすばら・・・・・・
やめときましょう 出来もしないことを!  ・・・これこそ妄想ですね。
やはり今はひたすら
  ”おいしい水を求めて沢を登り続ける
ことに専念しようと思います。

・・・「山中閑時」と題してみました。・・・・平成21年11月27日