21.
吾唯知足
(われただたるをしる)
この前の節「知足」はお読みいただけましたか?
万拙居士の物静かな語り口をお伝えできないのが残念ですが、何かしら心に触れるものが伝われば、嬉しく思います。
さて、引き続いて今度は「吾唯知足」です。同じ「知足」ですが、前に「吾唯」の二文字が付いています。
これは竜安寺のあの有名な石庭のある方丈のその裏庭 茶室の露地の蹲(つくばい)で見る事ができますね。

この「吾唯」の二文字 彪さんにとってはとてつもなく大きな意味を持った二文字です。 中でも「唯」の一文字は 「ただもの」ではありません。
「吾」が付き、さらに「唯」が付いて「吾唯知足」となると

”私は唯 足りているということを知っただけです”

となるのですが、これには
”いろいろと求め歩いたけれども その結果は、
何も難しいことを知った訳ではありません。”

という前置きがあるように思え、
「悩み多い迷いの人生を解決してしまうような”ひと際抜きん出た解答” を求め続けた」 と言う この言葉に至る経緯が見えて来るのです。
「吾唯知足」は
「必死に自己を見つめ 苦悩し彷徨い歩いた結果として得られた結論」
  「安心の境地に至って初めて言い得る言葉」
であるように思います。

そのような苦節は これまでに数多くの人たちが踏破して居られます。
そして その第一人者は
知足の者は貧しといえども富めり、
   不知足の者は富めりといえども貧し

と言い残されているそうです。
そう、その第一人者とは
 シャカ族の王子の身を捨て、苦悩の道をたどった お釈迦様なのです。

「吾唯知足」 この言葉は しばしば 人間の持つ欲望の深さを軸にした格言として解説されているようですが、こうして「吾唯」に注目すると
”自分と言うこの存在は 何ひとつ欠けてはいない、これで十分に足りているのだ”
”それがわかっただけだ”

と読むことが出来るのです。
釈迦のその比類まれなる苦悩の結果の言葉として 彪さんは「吾唯知足」を重く重く受け止めて置きたいと思います。

そして ”足りている自分を精一杯活かして生きて行きたい” と思います。
追記:そうそう とあるサイトで見つけた解説を紹介して置きましょう。これもよい解説だと思います。
  「足ることを知る人は、心が穏やかであり、足ることを知らない人は 心がいつも乱れている

・・・・平成19年12月24日